表札莫し

はっとり(居留守)

ていねいに

 

一日のうち一瞬でもベランダへ出ると、世界と真面目に向き合った気になる。「自分含め、みんな立派なもんだ」と鼻から二酸化炭素を余分に出しては、その息は誰かと関わる前に目の前の公道で轢かれる。

 

クレジットカードだけが仕事をしている。持ち主の衝動と孤独を、理解してかせずか口出しは一切せずにせっせと金を立て替えて、そしてまた黙って正座をし、次の衝動を待つ。おれが全く指示を出さなければお前も似たようなもんじゃないか。違いでいえば少し手際が良いくらいで、薄っぺらいところなんかそのまんまだ。

 

元はといえば自分が線を通して招き入れたのだが、深刻なフリをしたヘナチョコな情報が最近は味をしめてやたらとこの家に入ってくるんで多少気が滅入っていた。電源を入れなければ済むのだが、テレビが好きな時があるから仕方がない。

 

「あのね、政治のことはよく分かっていないけど、そうでなくとも、あたしたちの未来がこのままじゃ危ないことなら分かってますの。分かってますのよ。ご覧のスポンサーの提供でお送りしているあたしの言葉の中に過去のあたしは一人も居なくってよ。殺しているの、丁寧に。本当のあたしは一人も居ないの、でもね。あたしには大好きな家族がいるワ、それでいて」

 

あたまがおかしくなったのかな。

 

リモコンも見当たらないので、コンセントを抜いてやると情報は黙った。悪いことをしたなあ。急に申し訳なくなる。タカヒロに「お前はどうせ試合に出れないんだから」って、つい言ってしまった直後と同じ頭痛が沸いた。急に黙るから、よくないよ。ごめんな。ごめん。

 

空気が悪いんで、窓を開けて、ついでにまたベランダへ出る。うそみたいに風が遅い。気をつかわれている気がしてイライラした。あんた別に情報じゃないんだし、堂々としていてくれよ。

 

「過去のお前は一人もいないのだよ、丁寧に殺してきたからね」

 

深呼吸して、なんとなく息を止めて、死にたくないなあと思う。

 

二階からすぐ下を見下ろすと、自転車に乗った知らない男が散らばった溜め息を平すように走り去って行った。

 

知ってる朝だし、初めての朝だ。