考える人
「本を書いてみないか?」
「いったい誰が読むんです」
「考えることが好きな連中、お前みたいな」
今日あったその会話のことをアユミに話してみると、風呂上がり恒例のパックをした彼女はスマートフォンの画面に意識を預けたまま言った
「あたしも読むよ、たぶんね」
なんか、こう、違った。たぶんってなんだよ、最悪のリアクションだ。鼻で笑ってほしかった。
「デタラメにやってやろうと思って!確実に二冊目の話が来ないくらいデタラメに。オチはなんとなく決まっててさ、ぜんぶ夢でしたみたいな、あれ。あれやりたい」
アユミの表情はパックに隠れて全く分からない。
「よかったね。ずっと言ってたじゃない、小説書きたいって」
「書きたいとは言ってない。おれでも書けるって言った」
たのむ、馬鹿にしてくれ、笑ってくれ。
「あたしでも書けるよ。ユウジくんさあ、お店で店員さんに注文するとき顔見ないでしょ、前から思ってたけど。今日もそうだったよ、一回も見てなかった、お会計のときも。それってすごく失礼だと思ってたんだけど、あたしと話すときはずっとこっち見て話してくれるじゃない?だからね、なんかね、気にしないの。んー、そういうことを書くかなあ、本に」
画面を見つめたままアユミは言った。いつも通り感情を乗せない平坦な口調に、愛おしさと後ろめたさとが混ざったわけのわからない感情が不意に込み上げた。
「小説じゃないよそれ」
話を終わらせようと、逃げるように僕は立ち上がった。
「パック、撮って。写真」
アユミが言った。振り返ると両手でピースをした彼女が僕の目を見ている。
「は?」
なんで写真?
「撮って!チャンス!今だけブサイクだから!」
次の行動と言葉を探している僕を待たずアユミはさらに覆い被せてくる。
「考えてばっか。チャンスは終わりました」
呆れた様子でそそくさとパックを剥ぎ取り、自分の顔を軽くパンパンと二回叩くとアユミはそのままだらしなくベッドへ転がった。僕は同じ場所に突っ立ったまま一連の彼女をただ眺めている。
「考えるのが好きなんだから、向いてるよ。本当のことだけ書いてくれるなら、あたし読むから」
アユミは壁に体を向けてそれだけ言うと、あとは黙った。
そういえば、きみに本当の気持ちを話したことは一度もなかったような気がする。出会ってから一度も。
覗いたゴミ箱には、さっきまで顔の形をしていたパックがぐちゃぐちゃに丸まっていた。
「写真、撮っときゃよかった」
何ページかけたらこの気持ちを文章にできるか、僕は考えている。