表札莫し

はっとり(居留守)

もう。

 

あのころ僕らは若かった。手段など選ばずとも目的の場所へすぐに着けた。嘘つけ。嘘つーけ。暑いなぁ。もう。

 

 

 

 

その日は水着を忘れたので、見学を下された。こっち側にいることが悲しかった。

 

「珍しいじゃん。なんで?」

 

うるせぇなあ。

 

「水着忘れた」

 

お前と一緒にすんなよな。おれはプール入りたいんだから。

 

「おれも」

 

鈴木。こいつは嘘つきだから嫌いだ。具合悪いとか水着忘れたとかテキトーな嘘ついて毎回休んでる。ずるいとか、そういうふうには思わない。ただ可哀想なやつだ。そうやってサボってる自分をカッコいいとすら思っているから救いようがない。

 

鈴木の後ろに水内がいる。女。こいつも嫌いだ。喋らないし、すぐ泣く。みんなが気をつかってあげてるせいで水内は「喋れなくてもいい」人間として許されてる。授業中だって当てられたことが一度もない。ズルい。こいつは喋れないんじゃない、喋らないだけだ、おれは知ってる。放課後に公衆電話で親に電話をかけているとき、もの凄くしっかり喋れてるのを何回か見たことがある。

 

こっち側にいることが悲しかった。

 

ヒロキがプールから身を乗り出しておれを挑発してくる。

 

「サボりマンー!こっち来いよサボりマン。なんで座ってんだよー」

 

くそ。腹立つ。おれだって別に好き好んでこっち側にいるわけじゃないのに。

 

「水内はさあ!泳げないのー?水着なくっても泳げんじゃん。来いよ!サボりマン!」

 

馬鹿言うな。しょーもない。

 

水内の方を見ると、彼女は立ち上がってヒロキを睨みつけていた。なんでだ?よく分からない。

 

「ほら!来いよ!はやく!オシちゃん!カモン!カモーン!」

 

やめとけって、ヒロキ。しょーもない。

 

「死ね」

 

たぶん、水内の言葉だ。たしかに。疑ったが、発声源は水内でしかない。

 

見ていなかったんだ。見れていなかった。気付いたら水内は服のままプールに飛び込んでいた。

 

ヒロキは本当に死ぬかもしれないくらいに、首を絞められていた。水内の両手に。周りのクラスメイトの動揺と少し遠慮がちな救助、騒がしい水面のしぶきを、そのときは何故か、ただ呆然と【こっち側】から傍観していた。水内は真顔だった。ただ黙って。

 

隣の鈴木は笑っていた。たぶん、これもたぶんだけど、おれに対して言った。はずだ。目は合っていなかったから、定かではないけれど。

 

「お前が行かないからだよ。馬鹿にすんなってー。あっち側のくせに、お前」

 

 

 

 

 

夏が嫌いだし、プールなんて大嫌いだ。

 

 

 

あのころ僕らは若かった。手段など選ばずとも目的の場所へすぐに着けた。嘘つけ。嘘つーけ。暑いなぁ。もう。

 

 

もう。

 

ルーシー

 

ほらやる。足りないか、じゃ九パーセント。

 

苦になる?苦に行くか?

 

首筋がやけに赤いな

 

見せて。

 

もっと。もっと近く。

 

あー。こりゃ、アレだ。ビョーキだ。

 

放って置くとまずい。

 

くすり、やろうか?

 

やるよ。飲むんじゃなくて塗るやつ。

 

治すんじゃなく誤魔化すやつね。

 

続き。また今度にしよう。

 

寝るよ俺は。寝なよお前も。

 

お母さんには何て言ってここに来てんの。

 

ああ、それじゃ駄目だ。

 

帰りなよもう。

 

帰ってくれよもう。

 

なに?

 

ああ、

 

分かるよ。痛みとかその類い。

 

違うのかよ。

 

なにが。どう違う。

 

説明できないなら本当の痛みじゃないよ。

 

もう寝るよ。

 

さすがに

考える人

 

「本を書いてみないか?」

 

「いったい誰が読むんです」

 

「考えることが好きな連中、お前みたいな」

 

今日あったその会話のことをアユミに話してみると、風呂上がり恒例のパックをした彼女はスマートフォンの画面に意識を預けたまま言った

 

「あたしも読むよ、たぶんね」

 

なんか、こう、違った。たぶんってなんだよ、最悪のリアクションだ。鼻で笑ってほしかった。

 

「デタラメにやってやろうと思って!確実に二冊目の話が来ないくらいデタラメに。オチはなんとなく決まっててさ、ぜんぶ夢でしたみたいな、あれ。あれやりたい」

 

アユミの表情はパックに隠れて全く分からない。

 

「よかったね。ずっと言ってたじゃない、小説書きたいって」

 

「書きたいとは言ってない。おれでも書けるって言った」

 

たのむ、馬鹿にしてくれ、笑ってくれ。

 

「あたしでも書けるよ。ユウジくんさあ、お店で店員さんに注文するとき顔見ないでしょ、前から思ってたけど。今日もそうだったよ、一回も見てなかった、お会計のときも。それってすごく失礼だと思ってたんだけど、あたしと話すときはずっとこっち見て話してくれるじゃない?だからね、なんかね、気にしないの。んー、そういうことを書くかなあ、本に」

 

画面を見つめたままアユミは言った。いつも通り感情を乗せない平坦な口調に、愛おしさと後ろめたさとが混ざったわけのわからない感情が不意に込み上げた。

 

「小説じゃないよそれ」

 

話を終わらせようと、逃げるように僕は立ち上がった。

 

「パック、撮って。写真」

 

アユミが言った。振り返ると両手でピースをした彼女が僕の目を見ている。

 

「は?」

 

なんで写真?

 

「撮って!チャンス!今だけブサイクだから!」

 

次の行動と言葉を探している僕を待たずアユミはさらに覆い被せてくる。

 

「考えてばっか。チャンスは終わりました」

 

呆れた様子でそそくさとパックを剥ぎ取り、自分の顔を軽くパンパンと二回叩くとアユミはそのままだらしなくベッドへ転がった。僕は同じ場所に突っ立ったまま一連の彼女をただ眺めている。

 

「考えるのが好きなんだから、向いてるよ。本当のことだけ書いてくれるなら、あたし読むから」

 

アユミは壁に体を向けてそれだけ言うと、あとは黙った。

 

そういえば、きみに本当の気持ちを話したことは一度もなかったような気がする。出会ってから一度も。

 

覗いたゴミ箱には、さっきまで顔の形をしていたパックがぐちゃぐちゃに丸まっていた。

 

「写真、撮っときゃよかった」

 

何ページかけたらこの気持ちを文章にできるか、僕は考えている。

 

おおきに

 

やーやー言うとりますけどもね、今日も有り難く立たしてもうてます

 

せやせや

 

あんた最近なんかええことでもあったんかいな

 

なんでや

 

顔に書いたんで

 

なんて

 

フリーハグ

 

書くかいなそんなもん

 

グローバルやのお。おれの顔よう見てみい

 

わ!えらいこっちゃ

 

なんて書いてる?

 

「四球」

 

せやねん最近不調やねん。まぁ死球よりはマシいうことでね、気ぃ張って投げ込まなアカンなぁいう感じですけども。それよか自分、給付金はもろたんかいな

 

もうてないよ

 

あかんでぇ、早よ振り込んでもらわな

 

そういう自分はどうなんよ

 

もうたよ

 

なんぼもうた

 

5,880円

 

いや、6時間!

 

掛け持ちしとる分がまた明後日入んねん、ええやろ

 

バイト代のこと給付金言うてるやつ初めて見たわ

 

最近はバイトも入られへんしやな、金がのうて悲しなるわ

 

せやなあ、しんどい

 

しんどいで思い出したけど、性病は治ったんかいな

 

かかってへんわ、しばくぞ

 

ほっといたらシャレならんからな、早よ診てもうた方がええで

 

かかってへん言うてんねん!

 

おれは3つ掛け持ちしてるけどな

 

バイトか!

 

今のツッコミ、ストライク

 

おおきに

 

〜おおきに〜

ていねいに

 

一日のうち一瞬でもベランダへ出ると、世界と真面目に向き合った気になる。「自分含め、みんな立派なもんだ」と鼻から二酸化炭素を余分に出しては、その息は誰かと関わる前に目の前の公道で轢かれる。

 

クレジットカードだけが仕事をしている。持ち主の衝動と孤独を、理解してかせずか口出しは一切せずにせっせと金を立て替えて、そしてまた黙って正座をし、次の衝動を待つ。おれが全く指示を出さなければお前も似たようなもんじゃないか。違いでいえば少し手際が良いくらいで、薄っぺらいところなんかそのまんまだ。

 

元はといえば自分が線を通して招き入れたのだが、深刻なフリをしたヘナチョコな情報が最近は味をしめてやたらとこの家に入ってくるんで多少気が滅入っていた。電源を入れなければ済むのだが、テレビが好きな時があるから仕方がない。

 

「あのね、政治のことはよく分かっていないけど、そうでなくとも、あたしたちの未来がこのままじゃ危ないことなら分かってますの。分かってますのよ。ご覧のスポンサーの提供でお送りしているあたしの言葉の中に過去のあたしは一人も居なくってよ。殺しているの、丁寧に。本当のあたしは一人も居ないの、でもね。あたしには大好きな家族がいるワ、それでいて」

 

あたまがおかしくなったのかな。

 

リモコンも見当たらないので、コンセントを抜いてやると情報は黙った。悪いことをしたなあ。急に申し訳なくなる。タカヒロに「お前はどうせ試合に出れないんだから」って、つい言ってしまった直後と同じ頭痛が沸いた。急に黙るから、よくないよ。ごめんな。ごめん。

 

空気が悪いんで、窓を開けて、ついでにまたベランダへ出る。うそみたいに風が遅い。気をつかわれている気がしてイライラした。あんた別に情報じゃないんだし、堂々としていてくれよ。

 

「過去のお前は一人もいないのだよ、丁寧に殺してきたからね」

 

深呼吸して、なんとなく息を止めて、死にたくないなあと思う。

 

二階からすぐ下を見下ろすと、自転車に乗った知らない男が散らばった溜め息を平すように走り去って行った。

 

知ってる朝だし、初めての朝だ。

 

思想

名を述べ

手を差し出す

握る(及び、握られる)

生まれを訊く

生業を明かす

 

「苦労は?して来たんかね」

「まあ、それなりに」

「それなりか。きみ、シワの数に果たしてその者の思想は写し出されると思うか」

「思いたくないです」

「言葉には?」

「言葉は仮面です。セックスと同じ」

「面白いことを言う」

「人が好きですが、好きになった人にはどうも嫌われてしまうようで。仮面が邪魔をするんでしょうか」

「出会い頭からする会話じゃないやな。きみのことは今のところ好きだが」

「どこがです?」

「その返答が好きだ」

「長い付き合いをする気がないでしょう」

「答えてやろうか?」

「。いえ、結構です。また会えたときに。次は思想についてでもお話ししましょう」

「今日のうちに食べないと腐る物があるとしよう、そうなった場合、君はそれをどうするね」

「棄てます」

「よかろう。次、また会おう」

 

 

 

 

次、また会おう。

 

 

 

 

ミーチュー

夢とは。

 

叶ったら、誰かにバトンタッチすべきものなんかな。

 

全てを預けていた、委ねていたはずの神様が意外としっかり人間の形をしていてたなら、君はガッカリするのかい。

 

嬉しくなって、気付いたらずっと半笑いだったりするけど、後になって我にかえるのかい。

 

「夢がね、叶ったんだよ、目をそらすなよ馬鹿」

 

我に返る。我に帰る。

誰に買える?おれにしか買えない。何にも変えれない。

 

サインを貰ったとき、その瞬間

 

誰に自慢するより先に自分に自慢してやりたくなった、ごくごく自然に。

 

なあ、すげーだろ、羨ましいだろ、

 

それでいて丸裸だ

 

おまえは夢を一つ手放した

夢の中を通過して、夢の先に立った。

 

そこから何が見える?

 

なんだろうなあ。

 

おかしいなあ、変わらない。

 

夢か、これは。

ずっと、ずーっと、夢なんだこれは。

 

冷めるなよ。覚めるなよ。

 

何も変えるな。何にも代えるな。