いちぬけ
一抜け。
保育園でいつも最後の最後まで居残りだったあたしは、友だちが次々《一抜け》していくのをみる度に奥歯を噛んで涙をこらえていた。そうやって奥歯を噛む方が余計に悲しくなるのも、本当はわかっていた。それでも一度も保育園の中では泣かなかった。友だちの前でも先生の前でも、あたしはできるだけ笑って居た。
「お待たせえ〜、ごめんね今日も仕事が長引いちゃって」
(おかあさんだ!)
今すぐ走って抱きつきたいけど、あたしはゆっくりお母さんのところまで歩いていく。
「お母さんお迎えきたね〜、よかったね〜!」
「もう、いつも本っ当にスミマセンっ」
(はやく、はやく)
「ほら、先生にさようならは?」
(ねえ、はやくー)
「では、また明日よろしくお願いしますぅ〜、どうも〜」
奥歯を噛んでいた力は、お母さんの手を握る力に変わっていた。保育園の門を出て車に乗ったあたしは、そこで初めて泣いた。ずっと我慢してたおしっこみたいに涙が出た。だって、やっとお母さんのとなりで一番大きい声で言えるんだもん。
「いちぬけー!」
泣きながら笑うことをその頃から知っている。